今日は雨+スーツで出なきゃいけない会議もあって電車で通勤です。
なかなか5日すべてに自転車で行く事は出来ませんね。
さてさて、そんな電車通勤を終えて思った事。
自転車通勤の時は、見ようとしなくても見なくてはいけない景色があり、また
止まった時に不意に見える様々な景色があり。そして、ゆっくりと周りを見回しながら
走る時があり。結構自分を主体として周りを見ています。
そしてそのうちに世の中の事を考えてみたり、仕事の事を考えてみたり。
結構頭の中でいろんな想いを描いています。
しかし今日電車に久しぶりに乗ってみて、他の乗客との関係や、「乗せられて運ばれている」
という感覚もあるのか、まったく外との関係を遮断している自分に気がつきました。
完全に客体。
最近の列車の事故や遅延などが大きな問題になるのはこういう意識もあるのかな?
と思っています。
自分で主体的にした事に対しては、自己責任。
だけど、列車の中では自己責任は自分の半径何十センチくらいに狭められ
止まったら電鉄会社や運転手、路線整備の責任になる。
言い過ぎだとは思いますが、そこにその列車や路線を選んだ自身の責任は
ないですかね? もちろん、事故が起こったりする自分にとっての偶然を、
電車に乗る時に見極められるはずもありませんが...。
自分が自分の意志で見たり、聞いたり、感じたりする事ができる自転車という存在は、
心を解放してくれるモノになっています。自己責任で乗るものですから、何かあっても
人にあたったりするような怒りの場面もかなり少ないです。
(車道の右側を走ってくる自転車には、かなりムッとするけど)
自転車通勤はなかなか始められるものではないし、準備も結構大変です。
スーツでの勤務の方には特に、着替えやシャワーなどの心配もあるでしょうし、
自転車を置く場所が確保できるかどうかも大きな問題でしょう。
わたしも勤務地が銀座という土地柄、自転車が置けるところなんて歩道しかないだろうと
思っていたし、パンクしたらどうしようとか、着替えは?シャワーあるところは?なんて
悩みました。でもその気になって調べれば、あっさり解決できてしまったし。
なんだか前置きが長くなりましたが、自転車通勤を考えながらも躊躇している方にとって
何かのきっかけになれば幸いです。
09:25追加
カテゴリまで新設して考えたこととか見た事とか書いておこうと思ったのに、
書いてみたら自転車の事でした...。
自転車を中心にモノゴトを考えてしまうという副作用がある事を
追加しておきます...(苦笑)